著者:長池涼太:HSPの学び舎運営・HSP研究/エビデンスを発信するブロガー
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今回の記事のテーマは「HSPと親との関係」について。
HSP交流会を開催して実際にHSPの人の話を聞いたり、TwitterなどでHSPの人の話を聞いてると親との関係性に苦労している人が多いという印象を持ちました。もちろんHSPでも親との関係が良好な人はいますが、それでも非HSPと比べると関係の悪い人が多いなと思いました。
ちなみに僕は親との関係は悪くはありません。実家住まいですが、特にもめることもなく平和に過ごしてます。
知り合いからも「仲いいね」と言われることがあるので、そう思ってはいますが個人的に親子関係が良いに越したことはないと思っています。今回は個人的な話ながら僕と親の関係性について書きました。
僕の両親はこんな人
両親をざっくり紹介してみます。年齢はふせておきますが、二人とも60歳前後です。
- 会社員として働いている。
- 僕が大学入った直後までは、某大手企業勤務(早期退職後、何度か転職し今の職場に)
- 水戸(茨城)出身ではなくたまたま転勤先が茨城だった。(長崎生まれで実家は都内)
- 母と比べると口数は少ないあたり、僕は父似なのかなと思う。
- どちらかというと仕事人間?なところもあるが、それを僕とかに強要するようなことはない。
- ずっと専業主婦だったが、父が某大手企業を辞めたあたりから現在に至るまで某飲食店でパート勤務。
- 家事は一通り完ぺきにこなす。料理上手い
- 父と比べるとよく喋るけど、かといって他人に干渉するような性格でもない。
- 母も元々茨城の人ではなく、北海道生まれ仙台育ち。
ざっくりこんな感じの両親です。
二人とも元々茨城の人ではなく、親戚も茨城県内には一人もいません。
ちなみに両親とも、HSPの要素はあまりない印象です。
学生時代の僕と親との関係性
中学までの関係
僕の中では中学までとその後で感覚ながら親子の関係性みたいのが変わったかなーと思ってます。
中学で特に印象にあるのが、「習い事が多かった」ということ。僕が幼稚園のときは、
- 英語(まったく覚えてないけど)
- ピアノ(今は全く弾けません(笑))
- 学習教室(年長のみ)
とやっていて、小学校から中学校にかけても、
- 書道(小2~小6。毎週水曜日)
- 水泳(小4~小6。毎週日曜日)
- 塾(週2回。小3~中3。毎週火曜日と金曜日)
という感じでした。周りの友人と比べても、習い事の回数だけならまあまあ多い部類でした。特に塾は部活でケガをしても行かされたくらいには厳しかったです。中3の冬に一度
「塾行かねぇ!」
と言って部屋に立てこもって強制的に塾を休んだのもよく覚えてます。ただ7年間塾に通ってここまでなったのはこの1回だけでした。こんな感じで今と比べるとだいぶ縛られた感じはありました。
高校受験についても基本的に口出しはなかったですが、第一志望が私立だったことについては「特待生で受かったら」という条件を出されました。
僕としてはどうしても行きたいと思ってたので学校でも塾でもしっかり勉強して見事特待生として合格しました。そのため公立高校は受けず友人たちより早めに受験が終わりました。
高校以降は途端に自由に
それが高校になったらぱったりと変わりました。
塾については中学卒業と同時に辞めました。なので習い事はゼロに。
この時期は親はどちらかというと二人の弟のほうに時間を割いていたので、かえって僕は自由に行動できる要素が増えたかなと今は思います。特待生+バリバリの進学クラスだったのでみっちり勉強し、夜まで部活(演劇部)で、しかも部活の引退が3年の9月までズレこみましたが、高校生活についてしてこれといって口出しはありませんでした。
ある意味一番やりたい放題してた時期だったかなとも思います。
大学受験と実家を出るか
大学受験も大学に進学することは中学の段階で公言してたのもあって、特にもめるとはなく。実家から通えるかどうかも特に気にしなくていいと言われてたので、大学選びも特に縛りはありませんでした。僕としては地元の国公立大学に進学するつもりでしたが。
結局受験を失敗して都内の大学に進学、一人暮らしをすることになりました。物件だけは父に主導権を握られてしまいましたが、これも結果的には学生寮に住んだことで家事も必要最低限ですんたので、わりと楽でした。
大学まで徒歩と電車(小田急線)でトータル4,50分の通学が少し面倒でしたけど(笑)
就職活動と会社での仕事について
就職活動
僕が大学生のころ、弟二人はそれぞれ高校生と小学~中学で、だいぶ弟たちのほうに神経をつかってた?のもあり、ああしなさい、こうしなさい的なことはありませんでした。強いていえば、なぜか教員は推されました(笑)
就職についても特に「地元で就職しなさい」みたいのもなかったので、その気になればそのまま東京で就職するのも問題ありませんでした。僕としてはほとんどUターン就職しか考えていませんでしたが。そんな就活で印象に残ってるのが、父とのメール。
そもそも就活自体が卒論との兼ね合いもあり、上手くいっておらず最後の最後に役員面接(やったのが震災前日)までいってたけどそれがダメだったという連絡が入りました。震災で僕の住んでたところは、計画停電もあり生活もかなり変わってしまったし、地元もかなり被害を受けてたので不安しかなかったところにトドメを刺すように、お祈りの手紙。
元々就活がダメだったら実家に戻るというのも一応話はつけてあったので、就活がダメだった件を父にメールしてこのツイートのようになったということでした。
父はあまりこういうこと言うタイプでもなかったので、驚きもしましたがだいぶ救われました。
ちなみにこのメールをもらったときは、近所のマクドナルドで食事中だったのですが泣きました。周りに人がいない席で良かったです(笑)
就職と退職
その後、就職と転職をくり返す僕。
最初の派遣事務(県と派遣会社による未就職者支援事業)は、父がたまたまチラシで見つけて「これいいんじゃないか?」というのが始まりでした。ちなみに大学卒業後当初は、公務員を目指してたのもあり浪人という形で翌年公務員として・・・というのを目指してましたが考えた末派遣事業に参加することにしました。
そこから派遣事務、塾、農業法人はこれまでブログで取り上げたとおり、いわゆるブラック企業だったものでかなりの苦労を強いられましたが、これについては親には一切相談しませんでした。信用できないというよりは、世代間差的なものがあるだろうなと思ったのと当事者に相談したいのもあったので事後報告としました。
ただ塾については後で揉めるのも嫌だったので、正式に辞める半年前には退職、転職する意思は伝えてました。意外と反応は薄かった(ダメとかは一切なかった。「そうかー」くらい)ので少し拍子抜けはしましたが、これで安心して会社を辞められました。
仕事の親への相談は様々な意見がありますが、僕の友人やネット上見渡しても親と揉めたケースやいわゆる親ブロックの話はいろんな所で聞いてたのでそれもあって早い段階で話をしました。
転職~フリーランス
その後転職した農業法人は3週間でクビになるわけですが、「クビになった」ということについては伏せておきました。
会社都合で打ち切りになった
といった具合にオブラートにつつんでやり過ごしました。そして2019年の6月に開業届を出して正式にフリーランスになりましたが、こちらは完全に事後報告。届を出した後の夕食で報告して「おう、頑張れや」くらいの反応だったのでまあいいでしょう(笑)
おそらく僕の仕事内容についてはそこまで理解していませんが、好きなことをやりなさいというスタンスでした。
僕が思う理想の親子
過干渉ではない
SNSなどでたまに聞く「毒親」と僕の親を比較した時に一番の違いは「過干渉」かどうかかなと感じています。少し話は変わりますが、僕は以前シェアハウスに住んでいました。ほかに友人が管理人をやっているシェアハウスなどいろんなシェアハウスを見ていますが、これらの共通点の一つも過干渉はしないということでした。
僕が住んでたシェアハウスも、厳密に何かルールがあるわけでもなかったので一般の人が想像するよりはかなり自由のきくシェアハウスでした。
もちろん夜中に騒ぐなどモラルに反することはダメだけどね
そのイメージもあり、今僕は実家には住んでいますがシェアハウスに近い感覚で住んでいるのもあります。親と関係が悪くないと言ってもそんなにべったりというわけでもないですし、一般的な家庭と比べれば会話自体はむしろ少ない方かもしれません。
ただ火曜日の夜が両親が確実にそろう日なので、そこだけは僕も夕食前には家に帰って一緒にご飯を食べるようにしてます。元々夜は外には出ないので、夜は家に帰るけど特に火曜日の夜は極力予定は入れないようにしてます。簡単に言うと付かず離れずのちょうど良い距離感を保っているといったところですね。
親が自立している
特に高校以降、完全に放任な感じで育てられて今に至る僕。特に僕と同じHSPの方は、非HSPの方と比べると親との関係がギクシャクしている人が多い印象もあります。
そういう親は子に事あるごとに口出しをしているみたいですが、うちの親を基準に考えてみるとそういう親(毒親)は自立できてないと感じます。
子もそうですが、親の自立もポイント。
うちは変な話、僕が家を出ても特に影響はないのと親がそれぞれ自身で稼いでるのと同じく実家住まいの弟も正社員なので、特に子を気にする必要はないのかなーと個人的には思います。一方で毒親と呼ばれる人は、形は様々ながら子に依存しているように見受けられます。親がいろんな意味で自立しているかはポイントになりそうですね。
期待と批判をしない
家庭によっては親から勉強や就職などで過度な期待をかけられることもあります。それが良い方向に作用すればいいですが、当然逆効果の場合も多々あります。その点でうちの親は僕にたいして期待をかけるような言動があまりありませんでした。これも前述の放任にはつながるのでしょうけど、今思えば良かったなと思います。
これもある意味、親が自立しているからこそできるスタンスかもしれませんね。また、この点については僕の周りでも既婚・子持ちの人がある程度いるので話をきいたり観察していてもこう感じました。逆に批判もほとんどないです。
少なくとも学校の成績が悪かったり(落ちたり)、大学受験を失敗したり、大学卒業するときに就職が決まらなかったことについての批判はいっさいなかったです。これも僕が知ってる限りの毒親では、これでもかというくらい批判するみたいですね。
両親の夫婦仲も関係ある(仮説)
先日、Twitterで「幼少期の両親の夫婦関係」についてアンケートを実施しました。アンケートの結果を見る限りは仲の良くなかったところが多いという印象。
Twitter上のHSPのかたを観察していると、親との関係に悩んでいる(悩んでいた)かたが多かったのと、先日HSPのかたとオンラインで話したときにこの話が出たのでやってみました。あくまで仮説レベルの話ですが、全くの無関係でもないかなとは思ってます。もし自分の親が夫婦仲が悪かったのを想像したら、気持ちが動揺して穏やかに生活できませんね。
期待と過干渉をしない親が良い
- 中学まではガツガツ習い事をこなしてたので縛られた感が多少あった
- 高校に入ると、弟のほうに集中したからか干渉されなくなった
- 大学や就職先などもほとんど自分に裁量権があった
- ブロガー(個人事業主)になったことも事後報告だけど、反対などはなし
- 実家暮らしではあるけど、ほどよい距離感
HSPと毒親の関連性が強いなと感じたところから、うちはそこまで関係が悪くないので突きつめたらこのような感じでした。
あくまで一家庭の話なのでこれが答えというわけでもないだろうけど、少なくとも親との関係が悪くない理由については、ほどよい距離感だと思ってます。親との関係にお悩みのHSPの人の参考になればと思います。